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砺波市出町のおこり出町の大ケヤキ
現在の広上町には一本の大ケヤキがある。今から約500年前、後に「出町の大ケヤキ」と呼ばれる木の西側に、庄川の支流である中村川が流れており、この大ケヤキは川を行き交う人々の大切な目印となっており、いつしか船の渡し場になっていたと伝えられている。
現在の砺波市出町地区に町が開かれたのは慶安2年(1649年)、杉木村二郎兵衛らが杉木新町を開き、後にこの大ケヤキの周辺が町の共同墓地となった。そして町を開いた翌年の慶安3年、杉木新町の総氏神として出町神明社が勧請された。
以降治水工事が進められ、現在大きな支流は流れていないが、砺波市には「太郎丸」「三郎丸」「五郎丸」等、船の名前を取ったとされる地名が数箇所ある。)
出町夜高祭の歴史
砺波市農民の町として砺波地方の夜高祭は「五穀豊穣」「豊年満作」を祈る「田祭り」である。田楽や夜高行燈などは砺波地方各地で見ることができるが、出町の夜高が町内に集い、祭が始まったとされるのは1世紀前の大正年代のこと。戦中、戦後は資材や労力不足から中断したこともあったが、現在では田植時期の風物詩となっている。
六月十日は 青田の祭 祝う夜高の 灯がゆれる
二百十日に 風さえ吹かにゃ 笹に黄金の 花が咲く
出町良い町 二郎兵衛さんが 市場開いて 早三百年
ササドッコイサノサ ヨイヤサ ヨイヤサ
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